「らしくない」という言葉の弊害【子どもにはNG】

子育て

小さいころから言われるのが嫌だった言葉の1つ「らしくない」についてお話したいと思います。

落ち込んでいる友達や、特に思春期のお子さんには特に使用を避けたほうがいい言葉だと私は考えます。

「らしくない」は相手の決めつけ

いつも明るい人がなんだか元気がない。そういったときに元気づけようとして「そんなに落ち込んで、〇〇らしくないよ!」という言葉は逆効果です。

「明るい人」だと思っているのは、声をかける人の主観であって、実際に落ち込んでいる人は「普段落ち込みを見せていないだけ」かもしれないし「本当は落ち込みやすい」かもしれない。

もちろん根から明るい人もいるとは思います。 でもほとんどの人は、明るくないときだってあります。一人のときの自分と、他人に見せている自分は、偽りではないけれどありのままの自分ではない。

友達とは楽しい時間を過ごしたいから、明るく振舞っていたり、職場では仕事に集中したいから家庭の悩みについて語らなかったり。ただそうしているだけで、それが素ではないのです。

だから「いつも明るいあなたが、らしくないよ!」と言われたら「本当の私のことなんて知らないくせに」って言われた側は思います。

私の経験上「そうだよね!もっと私らしく明るくしっかりしてなくちゃ!」なんてポジティブに思えたことなんて一度もありませんでした。

キャラの押し付けをされているようで辛い

思ったのは「周りは私のことを明るくしっかりした人だと思っている。求められているのは明るくしっかりした私。落ち込んでいるのは許されない」でした。

私は本当は落ち込んでいるときには、悩みを聞いてほしかったし、「頑張ってるね」と頑張りを認めてほしかったし、落ち込んでいる私も私なんだとわかってほしかった。

これ実は、中学生の頃、親に言われた言葉なんですよね。

「ああ、お母さんって何もわかっていないんだな」と思いました。

悲しかったなぁ。お母さんって表面的な私しか見てないんだ、って。結局しばらくはしっかり者の明るい自分を演じ続けましたけど。

中学生相手の言葉選びは、なかなか難しいものがありますが、神経過敏な中高生に「らしくない」は100%のタブーワードです。

普段物静かでおとなしく思われている人間が、張り切って行動的になっているのを見て「今日は感じが違うね!〇〇らしくないじゃん!」とポジティブに言ったとしても、言われた側は腹が立ちます。

「張り切りたい場面でも興奮しちゃいけない。冷静でいなければいけない」と思ってしまう。

励ますつもりの一言が、キャラの押し付けであり重荷になる。

どの場面でも「らしくない」は相手にキャラを演じ続けさせることを強要するご法度ワード。

相手の「らしさ」の裏側を知ろう

結局、「自分らしさ」「素の自分」を一番知っているのは自分なんだから、他人から「らしくない」と決めつけられるのはおかしいんです。

表面上、他人から見た私は、前述したように「明るくてしっかりもの」だと思います。だから大人になった今でも他人に悩みを伝えるとびっくりされて「らしくないね!」と言われます。

普段から悩まないわけではないんですよ!むしろめっちゃ悩んでるし、家では夫の前で愚痴っぽいし、たまに泣いたりもしてるし!それを外に出さないだけで。

だって普段から愚痴ったり、悩みばかり言ってても楽しくないじゃないですか。せっかく友達と会ってるんだから、楽しいことを話したいし楽しい時間を過ごしたい。だから落ち込んでいるのを見せない。

好き放題に悩みばかり言えば、すっきりするかもしれないし、私の本質も周りはわかってくれるかもしれない。でもそれで楽しい時間は過ごせるのかと考えたら、そうではない。

私が周りに見せる「私らしさ」は、楽しく過ごすためのメソッドであり、人間関係を丸くするための努力。

こういう人もいるから、誰にでも「明るい人」「悩まない人」「しっかりもの」「ポジティブな人」というレッテルを貼らないようにしてほしい。それはあなたの主観であって、本質ではないかもしれないから。

もし「この人らしくないな」と思ったら、「らしくない」なんて言わずに、「大丈夫」「いつも頑張ってるね」「もっと悩んでいるなら話してみて」と、落ち込んでいる人に理解を示して、耳を傾けて、受け入れてほしい。

そうすると今まで自分には見せてくれなかった一面を目にすることができるかもしれないし、そうすることでお互いの信頼も深まる。

レッテル貼りはやめてみて、普段と違う様子こそが相手の本質かもと思って、受け入れてあげてやってください。

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