子どもへの言葉かけで、使わないようにしている言葉

子育て

子どもを育てる親なら誰だって、自分の子どもには立派に育ってほしい、と思うのが親心ですよね。習い事をさせたり、勉強を教えたり、遊びに連れて行ったり、努力している親御さんも多いはず。私だってスイミングを習わせたりしてるし。

でも「教える」ことよりも、もっと子どもに影響を与えているのは「親の口ぐせ」だと私は考えるようになりました。

3年ほど前、同級生の娘さん(3歳)がおもちゃを踏まれた瞬間に「はい、最悪~!」って言ったのを聞いて、私は衝撃と違和感を覚えました。同級生は「私の口ぐせだわ(笑)」と笑っていました。

それから私は「親が発する言葉の影響」について深く深く考えるようになりました。

その母子は些細なことでもすぐ「最悪最悪」と言っていました。そんな3歳児を私は少し可哀そうに思った。

その親子のように、私の発した何気ない一言で、子どもの成長に悪影響を与えていたかもしれない。もしかしたらその逆かもしれない。

ただの口ぐせで終わればいいけれど、それが実が子どもの人格考え方の形成にたくさんの影響を与えているかもしれない。

私なりの考察を以下にまとめてみました。ご自身の言葉がどんな風にお子さんに影響しているか、影響する可能性があるか、一度考えてみるきっかけになると嬉しいです!

先生の噂話・悪口を言う

私が実際に小中学生の頃に友人に言われたことを紹介します。

「体育の〇〇先生は国語も数学も高校生以下のレベルらしいよ」

「××先生の子どもはいじめっ子らしい」

「△△先生は結婚して4年だけど、子どもができないらしい」

当時の私はびっくりしました。どれもお母さんから教えてもらったことだそうです。

こういう噂話を耳にすると子どもはどうなるでしょう。

私は先生に対するリスペクトがなくなりました。

リスペクトがなくなると、その先生の発言を軽視するようになります。

「体育しか教えられないくせに」「自分の子どもはいじめっ子のくせに」「子どもいないくせに子どもの気持ちなんてわからない」

子どもたちの中にそんな前提が出来上がると、大人との信頼関係を築きにくくなるし、勉強への取り組み方も格段に違ってきます。

確かに風変わりな先生がいることも、否定はできません。その先生を疑うのは、子どものためを思う親であるなら当然のこと。しかしその疑いは、子どもに見せてはいけないことです。

家の中や食卓では先生のプライベートな部分や、経歴うんぬんのことは出さないようにしましょう。話すなら配偶者くらいにとどめておくのがベターです。

配偶者(子どもにとっての親)を悪く言う

「パパって本当に何もしない」と子どもの前で愚痴っているようなら、今すぐやめてください。お子さんは間違いなく、「配偶者のことを悪く言う大人」になります。

しかし一番のデメリットはそこじゃない。

「最も信頼できる存在=親」の方程式が崩れると社会に出ても誰に頼ればいいのかわからない人間になる、ということが最大の懸念事項。

親との心の結びつきが強い子は、社会に出てからもブレることなく生きていくことができる。

自分には味方がいる、自分には信じてくれる人がいる。

これが築けていないと、少しのことで心が折れたり、打たれ弱かったり。

親との関係は、全ての人間関係のスタートです。

〇〇しないと恥ずかしい、怒られる

勉強をしなかったり、やってほしいことをすぐやらなかったときに、「早くしないと怒るよ」「自分だけしてないと恥ずかしくない?」という言葉かけをしがちでしたが、やめました。

確かにその場ではやりました。でも大事なのはその時だけではなく、そのあとずっとのことです。

恥ずかしいという概念が早々にできてしまうと、何をやるにも人と同じでなければいけない、歩調を合わせなければならないと思うようになります。自分からアイディアを出したり、進んで物を行うということができなくなってしまいます。

怒られるという意識も同じです。大人の反応をいちいち伺って、やりたいことがあっても思い切りよくできなくなります。何をやっても「やらされている感」があるので、意欲、向上心が乏しくなり、達成感も得られなくなっていきます。

声かけをするなら「○○しないと」よりも「〇〇したらどうなるか」、と言い換えてみてください。

勉強をしたらいろんな職業につける、可能性が広がる。子どもたちにとってどんなメリットがあるかを話すようにしてください。

親がメリットを語るようになると、子どもたちは自分たちなりに「したらどんないいことがあるか」を考えられるようになります。自分の中でのポジティブな動機づけができるので、宿題1つとっても「やらされている」ではなく「自分のためにやっている」と感じるようになります。

そしてこのポジティブな動機づけが癖になれば、大人になっても、何をすべきか、自分は何をしたいかが明確になります。進学や就職、社会に出ても自分の意思をしっかり持てるようになります。

「面倒くさい」

これは本当に普段から意識して使わないようにしています。意識してないと私も思わず言ってしまいそうになります(笑)

この言葉は幼いうちから知らなくてもいいと私は考えます。

なぜなら、知らなければ「面倒くさい」という概念が生まれないからです。

うちの子どもたちはまだ面倒くさいの概念を知らないので、何か頼みごとをしても拒否しません(笑)

何かやってみようと言うと「わかったー」と言ってついてきます。心の中ではやりたくないと少し思っているかもしれませんが、彼らは何しろ「面倒」を知らないので、その気持ちに至ることがないのです。

私自身、幼い頃はずっと、朝起きてすぐに着替えて、身支度をしてからリビングに現れるという生活をしていました。それを高校生のときに友人に話すと「休みの日は起きたらそのまま部屋着でしょ!いちいち着替えるの面倒くさくない?」と言われました。衝撃でした!

言われてみると、確かに面倒くさいかも…そう思い始めた私は、パジャマではなくスウェットを購入し、土日はずっと家の中をその姿でうろつくようになりました(笑)

くだらないお話ですが、着替えることが面倒くさいことだという発想にたどり着くと、本当に面倒くさく思えてくるんですよね。

効率化、楽さを考えれば部屋着で過ごすのもいいのかもしれませんが、これはこの「着替え問題」に限った話で、勉強や生活において「面倒くさい」はだいたい「行動したくない」につながるので、私は避けるべきワードだと考えています。

「疲れた」

これも「面倒くさい」と同じ理由です。

小学校高学年ともなってくると、多くの友達がすぐ「疲れた」と言っていた気がします。私もその子たちに影響されて学校でも家でも「疲れた」を言うようになりました。

それまでは言ってなかったし、思ってもなかったのに

そもそも自分の子ども時代を振り返ってみると、言葉にするほど疲れることってなかったと思うんです。それなのに言うようになってからは本当に疲れたと思うようになってしまいました。

すると何事も始める前から疲れると思ってしまいました。やりたくなくなることも多かった。

人間は耳から入ったことは脳に残りやすいので、自分で疲れたと思ってもいないのに疲れたと口にすることで、脳は「私は疲れたんだ」と思うようになります。悪循環。

かつての私のように、お友だちから「面倒くさい・疲れた」の概念をもらってくることは、ある程度仕方ないのかもしれません。でも親がそれを教えるのは良くないと思います。

ネガティブワードはお友だちから、親御さんはポジティブワードを

ネガティブワードは友達から知る、くらいのスタンスがちょうどいいんではないでしょうか。

親御さんから発せられる言葉は、お子さんの中にも「習慣」として残ります。

だからこそ親御さんは意識的に「ポジティブワード」を使うよう心がけましょう。

お子さんのためと思って、今一度自分の口癖を省みてみるといいかもしれませんね。

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